野辺送り(のべおくり)
野辺送りとは
野辺送りとは遺体を火葬場または埋葬地までもっていくことを指します。野辺は埋葬を意味しています。また死体を埋葬する場所という意味も含まれていました。土葬が一般的だった時代には葬儀が終わってから埋葬地までもっていくのに遺族や地域の方が棺を担いで持って行ったので野辺送りといわれていました。現在では火葬場にもっていくことを野辺送りを言いますが本来の意味としては少し異なっています。ですが火葬場まで心を込めて移動することには依然と変わりないのではないでしょうか。また葬儀社によっては野辺送りの歴史を無くさないためにも小道を作って野辺送りのように運ぶことができるところもあります。当時は野辺送りを大人数で行うことによって悪いものが取りつかないよう厳かに故人が運び出される神聖な儀式でした。火葬が義務化された現在では一部の地域を省き担いで運んでいくことはなくなりました。現在では霊柩車の後ろにマイクロバスなどで遺族の方がついて火葬場まで移動するようになりました。霊柩車には運転手と喪主もしくは葬儀の担当者、その後の車には故人とのつながりが深いもしくは親しかった順番に遺族、親族が乗ります。
僧侶は霊柩車の後ろの車に乗ることもありますが、自家用車で移動されることが殆どです。現在このような本来の意味での野辺送りを行っているのは一部の地域のみになっていて火葬場のないような地域や離陸などのみが野辺送りを行っており、大半はもうおこなわれていません。ほとんど野辺送りはなくなってしまいましたが納棺されたものを霊柩車まで運んでいくのが一番近いものとしています。
土葬だったころは葬儀を行う際地域の人全員が携わっていました。葬儀を地域全体で行っていたのです。かつての野辺送りは葬儀の先頭にたいまつを持った人が並んでいました。このたいまつは厄除けとして使われていたので昼夜問わず使用します。その後ろをかごに入った散華という紅白色の紙しぶきや古銭などを撒きました。これもまた魔よけのために行われていました。地域によっては棺の上に刃物や鎌を置いて魔除けをすることもありました。たいまつを持っている人の後ろに枕飯や水桶、香炉などのお供物を持つ飯持ち、僧侶、導師(葬儀を執り行った僧侶)、位牌持ち(その家の長男、家長を継ぐ者)、天蓋持ち、棺桶、親近者の女性、一般参列者と並んで歩いていきます。役割の人を地域によっては先頭を歩く松明持ちを含めて「葬列七役」と呼ぶところもあるようです。昔ながらの一部地域で行われる野辺送りの服装は、位牌持ち、棺桶持ち、天蓋持ちの三役は、色着という白の上衣に草履を履きます。また、喪主の多くは晒木綿の白衣を着用します。現在は、喪主を含め参列者全員、喪服を着用が一般的となります。現代では車を使うことが当たり前になっているので大掛かりで運んで持っていくこともなくなりました。
当時の野辺送りは出棺の際に棺を3回回す「三度回り」という儀式がありました。これは故人の方向感覚を狂わせて現世に戻ってこないようにするためです。仮の門を作ってそこから出発したりわざと遠回りして向かうのも現世に戻ってこないようにするためとされています。野辺送りが終わると遺族の方々は入浴をして穢れを落としてから食卓につきます。地域によっては入浴だけでなく塩やみそを口に含みお清めをしたそうです。当時はこういった儀式や習わしがありました。