被災文化財(ひさいぶんかざい)
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東日本大震災がもたらした文化財への影響とは?
被災文化財とは、地震や水害などの災害により被災した文化財のことをいいます。2011年3月11日に三陸沖で発生した東日本大震災では、宮城県で仙台城跡の石垣が崩れたり、福島県南相馬市にある巨大な石仏「大悲山の石仏」を覆っていた建物が倒壊したり、国指定の文化財だけでも、1都18県で744件もの被害が出ました。
また、例えば津波の被害が甚大だった岩手県陸前高田市では、市立図書館や市立博物館、海と貝のミュージアム、埋蔵文化財収蔵施設の全てが被災し、約56万点の文化財が津波にのまれました。
こうした被災文化財の救出は急務であるものの、被災地では、被災者を通常の生活に戻すことや行方不明者の捜索が最優先されるため、被災文化財の救出活動を被災地だけで展開することは困難です。
そこで文化庁では、2011年3月の東日本大震災の発生後直ちに、「東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援事業(文化財レスキュー事業)」を開始。2012年度末までの2年間、関係各所の協力を得て、美術工芸品等の動産文化財を中心に、被災文化財等の一時避難・応急措置を行い、多くの文化財を救出しました。
今なお続く文化財の救出と保管後の修復作業
文化庁によると、東日本大震災で被災した国指定の文化財については、ほぼ修復や復旧は完了したとされています。一方、考古資料、歴史資料、古文書、絵画、彫刻、工芸品といった動産文化財および美術品に関しては、文化財レスキュー事業において、被災した文化財の救援と保存のための応急修理や応急措置及び、より安全な保管場所への移送が中心とされていました。
そのため、本格的な修理については、試行錯誤しながらの作業となり、現在も続けられています。特に津波の被害が甚大だった岩手県では、文化庁の補助制度を活用しながら、岩手県立博物館が中心となって、震災直後の2011年4月から修復作業を始めました。これまで津波で被災した文化財を修復した前例がほとんどなく、確立した技術もなかったため、修復作業に予想以上の時間を要していると言われています。
海水に浸かった文化財の修復は脱塩、除菌などを行う「安定化処理」がまずは不可欠であり、世界でも前例がないことから、海水や汚泥を被った文化財を保全するためのこうした処理方法を一から研究、模索してきました。その取り組みは現在も継続して行われており、また現段階の処理方法では修復できない文化財も存在します。
熊本地震で被災した文化財のその後
2016年4月14日起きた熊本地震では、熊本県内にある国や県指定の指定・登録文化財のうち2割超にあたる159件が被災しました。一方、未指定の物など4万点近くが、文化庁や県などのレスキュー事業で救出されています。
例えば、益城町の千光寺の本尊である木造千手観音菩薩立像は地震で転倒、損傷しましたが、助成を受け、約2年にわたる修復を終えました。なお、被災を機に、新たに把握された文化財もあります。細川家の家臣「築山家」の江戸時代の文書類からは、京都に拠点を置き、上方方面の活動を担っていた内容が初めて明らかになりました。
2019年6月には、熊本地震によるこのような被災文化財の実例を多数紹介する企画展が、熊本県立美術館で開催されています。地震に遭った文化財をどう救い出し、修復してきたのかという道のりや、地震を機に試行錯誤して生まれた、被災文化財を救う仕組みやノウハウを伝える機会となりました。
各地に生まれて伝えられた文化財の数々は、先人たちの生活や文化を示す証であり、今を生きる人々にとっても貴重な財産です。だからこそ、被災文化財を保護し、次の世代につないでいくということは、被災地の復興において精神的な支えにもなりえます。また、救出や修復の経験、技術を将来に生かしていくことも重要であり、たとえ時間や労力がかかるとしても、修復作業を継続して行っていくことは、大きな意味を持つといえるでしょう。